あまり喋らない療法士

学生の臨床実習の頃から患者さんといわゆる”世間話”をするのが苦手であった。実際に働き始めて臨床に出てからも”世間話”は自分から積極的にすることはなかった。もちろん全く話さずシーンとした居心地悪い状況は苦手なので、無難に天候の事や季節の話題等を話しはした。しかし他の療法士たちに比べて、私の口数が少ないのは事実である。そしてそれは今でも変わりない。

 

そんな折、訪問リハビリテーションで訪問している患者さんたちと話していて今更ながら気がついた。

 

ある患者さんはもともと話し好きな方ではあったが、その日は殊更よく話していた。私のほうは耳を傾ける程度にしていたが患者さん自身は話に夢中になり、こちらがやってもらいたいいつもの運動療法ができなかった。取りあえず足を動かしているだけで、それは本当にやってもらいたい運動ではなかった。それから一旦話を区切ってから、仕切りなおすように運動してもらうと、その患者さんはいつものように必要な運動ができた。

 

もうひとつ別の患者さんでのことだ。子育ての話題になり、ついつい私のほうも話に夢中になった。そしてふと我に戻ると患者さんに今何の運動をしてもらっていたのか分からなくなっていた。これはだめだと、やはり一旦話に区切りをつけて初めから運動療法をやり直した。

 

以上の事から、話しながらのリハビリテーションでは患者さんも私もどこか注意が足りなくなっていることを再認識した。特に患者さんにとって今はできない運動を療法士としては求めているので余計に集中力が必要である。だから無口になっている方が自然なことだったのだ。


医療は接客サービス的な面をもっているので、ある程度の”世間話”も必要である。しかし患者さんに「この療法士は何を考えているのか全然分からない」と怪しまれない程度の話ができれば何とかやっていけると思って今は臨床を続けている。