「傾聴」

訪問リハビリテーションでは患者さん本人や家族の話をウンウンと頷きながら聞かなければならいことが少なくない。いわゆる「傾聴」というものである。

 

時にはずっと聞いているのが苦痛になるような愚痴の類もある。またある時には孫の話でお互いに心温まる雰囲気になることもある。当然何でもない世間話もあり、その時々によって色々と反応しながら傾聴を続ける。

 

こういう話を聞いていていつも実感するのは人間が気持ちの生き物であるということである。怒りの感情をもって話されている人はその話をしながらやはり興奮するし、その興奮を抑えるように反応する必要がある。また悲しみの感情をもって話す人にはその悲しみをひたすら聴くことで感情を外に流し出してもらう。日々の介護でたまったストレスを何気ない話をすることで少しは発散してもらうことも大切である。これらのことは運動療法ではどうしようもできないことである。

 

患者さんや家族も思っていることを私たちに話すうちに徐々に自分の気持ちが整理されていくようだ。泣きたいのか、笑いたいのか、怒りたいのかが話しているうちによりはっきりとし出して、「悲しい」、「辛い」、「面白かった」、「腹が立つ」等の言葉が出てくる。ただし肝心なのはこちら側がその感情の影響を受けないこと。患者さんの感情に飲み込まれて、同じようにこちら側が相手を非難したりするのが一番避けなければならないことである。

 

学生時代に心理学の授業で初めて「傾聴」という言葉を習った。臨床に出て、実際に働き始めてこれほど学生の頃に覚えた言葉を未だに意識するのも珍しい。それほど私にとって「傾聴」とは意味のある行為である。