「楽をしたい」という欲望

共働きの家庭ではロボット掃除機が今や欠かせない家電製品となってきている。また私が訪問している患者さん宅でも、掃除機を持っての移動は重労働であるし転倒する危険性もあるとのことでロボット掃除機を使用している方を時々見かけるようになっている。

 

こういった家電製品を使うことに対しては「そんなに大した時間はかからない家事をわざわざお金を出してまでモノを買って楽をしようとは思わない」と私自身は初め思っていた。しかしいざ実際に使ってみると「どうしてこんなに良いものをもっと早く使わなかったのだろう?」と思うようになっていた。そしてその中で二つ気がついたことがあった。

 

まず一つ目に正直に言ってロボット掃除機はまだまだ完璧な製品ではない。たまにカーペットの下にもぐりこんで出られなくなっているし、ゴミも所々に残っていたりする。しかしどうすればカーペットの下にもぐこまずになるかを考えたり、完璧さを求めないようすれば、ボタン一つで家の中の埃を取ってくれるのは本当に画期的である。ここで重要なのは、どうすれば毎日繰り返さなければならない家事を少しでも楽にできるかを道具を使い、その道具の力を最大限に発揮させるためにどう使えばいいのかを考えることである。つまり極端な言い方をすると、現段階でのロボット掃除機には、労働者をどう働かせればベストな成果を出す事ができるかという、経営者的な考え方が必要となる。その考えることを面倒くさいと思う人にはまだまだ今のロボット掃除機は力不足な存在である。

 

もう一つは、たとえ大した時間がかからない事でもそれから解放されるというのはかなり自由になった気持ちを得られ、それが予想以上に日々の生活を良い方向に変えてくれるということである。

 

生きていく上ではまだまだしなければならない家事が山ほどあるが、それらを当たり前のこととして考えるのではなく、どうすれば楽をして減らすことができるだろうか?と頭を使うことは思っている以上に生活の向上に対してインパクトを与えてくれる。だから「楽をしたい」と思うこと、考えることは思考停止状態で体をただ使うことから逃れ、より良い生活を送るためにはなくてはならない欲望である。