暖かい日なので大掃除をして、仕事を辞めることについて考えた

ここ数日暖かい日が続いていいるので、家の大掃除をした。年末の大掃除は毎年やらず、暖かくなり始めた頃に大掃除することをここ数年続けている。寒さには弱く、そんな日に暖房の効いた部屋から出て、濡れ雑巾を持って掃除をするなんてことは私には無理なので、必然的に大掃除は暖かくなってからになる。

 

大掃除は年末に行う、というのは私が子どものころから一般的なのことだった。学校でも、家でも、周りもそれが普通だった。だから大掃除は年末に行うものだという思い込みというか習慣がずっとあり、私もそれに従っていた。しかし、大人になり自分の責任で自由に時間を使えるようになってからは、別に苦手な寒い冬にしなくても、体を動かすのに気持ちのいい季節に行ってもいいと思うようになってから、春先に普段しない場所を中心に大掃除をするようになって、それが自分にはとても合っていた。

 

このように物心ついた頃からの思い込みや習慣は、良い悪い関係なく、自然にそうするものという強制のような力が働いて、場合によって自分自身の居心地を悪くしている。私は療法士になってからずっと病院で働き、働くならすぐには潰れそうにない大きな病院、リハビリテーションに力を入れている病院、というふうに考えて何回か病院を変えながらもその考えにある種捕らわれて働いてきた。給与のことや退職金のこと、そして世間体を気にしていた。老後のことを考えるとしっかりとした病院で、いろんな我慢をしながら働き続けることが必要だと思っていた。しかし特に大きなきっかけがあったわけではないが、ある時から病院で療法士として働き続けることに限界を感じて職場をやめ、訪問リハビリテーションの世界で働くことに成り行きでなった。これまた特に在宅医療への熱い志があったわけでもなく、新人でもない私でも比較的仕事に再就職できやすい分野が訪問であっただけだ。

 

それでもはじめはやはり、訪問リハビリテーションの将来性や、大病院と比べての給与の低さ(賞与はこれまで出たことはない)、福利厚生や退職金なしという差を実感し、後悔しそうにもなった。しかし働き続けてみると、病院での療法士とは違い、自分で利用料金を徴収したり、いろんな場所に営業に回ったりと、その自由さが自分には合っていた。今の職場での給与が世間一般的に見ても低い状況でも、自分自身は特に不便なく楽しく生きていけていることに気が付いた。老後の心配も、働いて収入を得続けることができる限りは問題ないので、身体的にも精神的にも健康を維持できる今の働き方がベストだと思えるようになった。この「働いて収入を得続けることができる限りはほとんどの問題はなんとかなる!」という確信を得られたことが何より大きい。

 

これから訪問リハビリテーションの仕事環境も、国の財政や方針によっていろいろ変わっていくだろうが、なんとかなるという気持ちは会社(病院)に勤めるというよりも、よりフリーランス的な雰囲気の強い訪問リハビリテーションの仕事をしたからこそのものだろう。思い込みや習慣はいったん捨てて、いろいろと試してみて自分に合った働き方と生き方ができるのがあまり多くない療法士という専門職のメリットかもしれない。