歯車になれる人生

3月に入り職場を去る人が多い季節だ。子ども幼稚園でも担任だった先生が退職したりと何かと寂しい。しかし、どの人も仕事と同時に自分自身の人生があり、いろいろな事情で別れを告げなげればいけないことがある。それは私自身が過去数度職場を変えてきたから尚更に実感をもって言える。

 

私を含めて誰が辞めたとしても大抵の職場はこれまで通り回り続けていく。それはサービスを受ける側の人間としては実はとても有難いこと。あの人がいなくなったらもう、これまでのサービスを受けられなくなるというような状況は悲惨である。次々に新しい歯車として新しい人たちが補われて、サービス自体はほとんど変わることなく続いていけるということの重要性はサービスを受ける側になって初めて分かる。

 

そして働く側としては、ひとりでは決してできないサービスを提供するためのひとつの歯車に自分がなれることは実はとても喜ばしいことなのだ。世の中の多くのサービスはそういうふうに歯車を担う人たちがいるからこそ動き続けられる。そして何かの理由で自分がその歯車から外れなければならない時も、次に歯車になれる人がいるからこそ可能となる。

 

唯一無二の仕事が合っている人、歯車の一員として働くことが合っている人、それは人それぞれであり、良い悪いはない。そしてどれも必要な仕事なのだ。