子育て、教育について、音楽やスポーツという習い事

前回は親として子どもに中学入試をさせるべきかどうかについて述べた。

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現在ではもし中学入試をするとなったら、有名進学塾へ通わせることがまず必要となる。塾では知能そのものを向上させるというよりも、有名国立私立中学の受験問題に対応するためのスキルを徹底的に叩き込むと考えた方が良いだろう。

 

さてこのスキルを叩き込むということで塾の他に親が考える常として、ピアノやバイオリンなどの音楽と野球やサッカーを始めとするスポーツがある。そしてそういった需要に応えるように音楽教室やスポーツクラブがたくさん存在する。もちろん大抵の親は音楽で食べていけるようにとか、プロスポーツ選手になってもらうとかは現実味あることとして考えてはいないだろう。しかし心の奥底でもしなれるものならばなって欲しいと思い、せめて周囲の子よりは上達して欲しいと思っている親も少なくはない。だからそう高くないもない月謝を払いながら、熱心に通わせ、叱咤激励する。

 

しかしここでも遺伝という現実から目をそらさずに冷静に考えてみると、必要以上に親の方が熱を込めることは無駄だということがわかる。その参考になるのがこの本だ。

日本人の9割が知らない遺伝の真実 (SB新書)

日本人の9割が知らない遺伝の真実 (SB新書)

 

 

音楽の才能は9割以上遺伝から説明できるし、スポーツも実に8割超を遺伝の側面から説明できる。つまり親である自分自身が音楽やスポーツについてどうだったのか?どうなのか?を顧みればわが子にどれほどの熱を加えればいいのか大体判断できてしまうということだ。人生に楽しみをひとつ加える程度に軽く捉えるのならば、わが子に音楽やスポーツをさせることは大いに結構だ。しかしそれ以上の高望みをするのは、親である自分をよく見つめなおしてからにするべきだろう。

 

ただここでひとつ重要なことを忘れてはいけない。自分自身の才能なんてすべて知り尽くしているわけではなく、子どもに関しても同様である。知能や音楽、そしてスポーツなどは人々の興味を引くところであり、他の才能に比べて分かりやすく、研究のための調査もしやすいので、遺伝との関連も調べられてきた。しかし人のもつ能力や才能というものは必ずしも明確に表現できるものではなく、だからこそどこにどんな才能が存在しているのかはやってみないと分からないことがある。例えば天才棋士と言っても過言ではない将棋の藤井聡太氏は、幼少の頃にもし祖父母を通して将棋に出会うことがなければその才能は埋もれたままであっただろう。

 

親としてできることは、子どもたくさんの出会いの機会を与え、彼ら・彼女らがそれらにどう反応するのかを注意深くみることである。強制することは大概無意味に終わり、子どもも親も不幸になるだけだ。一度取りかかったものは続けることがとにかく重要だという考えではなく、合わなければ早めに引き、また新しい出会いを求めることの方が重要なのではないだろうか。遊んでいる時に一心不乱になっている子どもを見ると分かるように、子どもが本当に夢中になれるものは親がほっておいても熱心になるものなのだから。