無駄なエネルギーを使わせるテレビという存在

訪問リハビリテーションで訪問すると患者さんからテレビの話題を振られる事がある。
こう言っては何だが日中特にすることがなくテレビがつけっぱなしになっているというのは一世代前では当たり前のことだ。訪問にいくとテレビがついていることも少なくない。

 

さて私が振られるテレビの話題というのは、すべてテレビで何度も何度も繰り返される時事ネタである。時事ニュースに関心を持つこと自体は普通のことだ。しかしテレビではその報道のされ方に問題があるようで、そのニュースに患者さんは怒っているのだ。そして「どう思いますか?」という話は結局「当然あなたも怒っているでしょ?」という怒りの共有でもある。少なくとも私自身はそう感じている。

 

ある出来事について怒ったり、喜んだり、悲しんだりという感情をもつこと自体は全く否定しない。しかし違和感を感じるのは、明らかにテレビが見ている者の感情を煽り、ある感情へと過度に誘導しているように思えてならないからだ。おそらく視聴者の感情を煽る事という刺激が視聴者はある種の興奮状態につながり、また次の日も新たな刺激を求めてその番組を見るということを製作者側は分かっているのだろう。その意図通りにテレビを見た人たちは、過剰に怒ったり喜んだりする。

 

以前に書いた話がある

satomino-you.hatenablog.com

 体力と同じように心にも限界消費値(以下「心力」と勝手に呼ぶ)があると考えている。ひどく悲しいことや、怒りを覚えるようなことは、この数値を減らしていき、やがては疲れとなっていく。ストレスとはそういう類のものだろう。体力は減っていくと疲労として実感できるが、心力は相当減らない限りはなかなか意識しずらい。そして気づいた時には限界値を越えていて鬱状況になっているという危険性もある。

 

そう考えると、ある種のテレビ番組を見ることは、貴重な「心力」をただただ消耗しているだけでしかないのだ。遠く離れた所での出来事に過剰な怒りや悲しみを抱いて消費するのはとてももったいないのではないだろうか?特をするのは視聴率を稼げるテレビ局というバカバカしい話だ。

 

さて、冒頭に書かれたような話題を患者さんから振られた私はもちろん無駄な「心力」を使いたくないので、聞き流して、もっと楽しい話題を振ったり、沈黙を続けるという方法を取らせてもらっている。