お金を得るための手段を本業ただひとつだけにしないこと

商売としてのリハビリテーション

現在私は訪問看護ステーションに籍を置き、患者さん宅を訪問してリハビリテーションを提供してお金を稼いでいます。言うなれば患者さんと療法士との関係は、お客さんと商売人との関係です。しかし一般的な商売とは大きく異なる点がここにはあります。通常、ある商品なりサービスを求める客は直接自分で見て、選び、購入します。一方私が仕事としているリハビリテーションのサービスは患者さんと療法士との間にケアマネージャーや医師が必ず存在します。つまり客である患者さんと、商売人である療法士はこういった職種からの紹介がないと出会うことがない状態です。

 

様々な制約の中で成り立っている仕事なのです

医療保険介護保険により成り立っているリハビリテーションでは診療報酬や介護報酬の形で9割~7割の料金が支払われ、残りが患者さんから支払われます。そして保険制度は国によって決められていて、報酬額や報酬を得るための条件などが事細かに作られています。そのため国の財政状況や社会状況により大きく影響を受けます。そして国民の満足度を満たししかもその制度を維持し続けられるようにされているのです。その中でリハビリテーションを患者さんが受けるためには、医師による指示やケアマネージャーの作成するケアプランに組み込まれる必要があるということに基本的にはなっているのです。これは看護においても同じような状況です。

 

ビジネス上の上下関係が自然と出てくる

さて、あたり前のようなことをここで改めて書いたのは、そのような状況にある療法士や看護師は常にお客を紹介できる医師やケアマネージャーとは立場の上下がどうしても生じてしまいます。それ自体は医師やケアマネージャーがそれ相当の責任を負うことを考えれば仕方がないことではあります。しかし時として、納得できないような指示や条件を言い渡されることや、あからさまに横柄な態度をとられることもあります。しかし患者さんを紹介してもらい、そこからやっと仕事をスタートできるのが療法士や看護師であるので、仕事としてそれは受け入れざるを得ません。それが社会で働く大人の態度ということでもあるでしょう。

 

お金を得るための手段を本業ひとつだけにしない

それでも自分たちの仕事を直接お客からではなく、間にはいる人たちの主観的・客観的判断による影響を受けるというのは制約がやはり大きいと実感する毎日です。ただでさえ国からの制約も受けているのだから余計に。これまでは言われるがままに働き、我慢をすることでそれなりの稼ぎを得られてきました。しかし社会情勢を長期的に見てみると、賃金の頭打ちや現場(療法士と患者さん、看護師と患者さん)に混乱と無理を強いる制度変更が出てくるでしょう。そういった状況でも我慢に我慢を重ねる働き方ではなく、多少の我慢はしつつも全く受け入れられないような条件は我慢しないでも生きていける働き方が絶対に必要です。そのためにも経済的な不安をなくし、ひとつの仕事にしばられない働き方を作り出すことが重要になります。その方法は投資であったり、副業であったりといったものかもしれません。いずれにせよ、お金を得るための手段を本業ただひとつだけにしないことが大切だということです。