訪問リハビリテーション日記

訪問リハビリテーションの仕事をしています。仕事をしていて考えたことを日々書いています。

職業復帰について

これまで訪問リハビリテーションで関わった患者さんの中で職業復帰された方は一人しかいない。その方も会社勤めではなく、自営業である。病前のようにバリバリ働けるように
なったわけではなく、主にレジの担当で、後はなじみ客との会話である。

 

訪問している患者さんの多くが介護保険の対象者であり、すでに退職していている方が多いというのが主な理由だとは思う。そんな中で現在担当している患者さんに目標は職場復帰という方がいる。年齢もまだ若く、何よりまた働きたいという意欲が強い。しかし失語や上肢に大きな運動麻痺があり、現状では以前と同じような仕事は正直かなり難しいと思われる。それでもまた働くということが大きな目標となっているので、可能な範囲でそれを達成できるようリハビリテーションを行いたいと思っている。

 

65歳に満たない勤労世代にとっては働くということはとても意義ある目標だ。直ぐに生命に関わりような疾患をもっていないとすれば、これから先の人生はまだまだ続く可能性が高い。そうなればお金の事も大きな心配になるだろう。また、生きがいという面からも重要である。

 

病院と比べると訪問リハビリテーションでは出会うことが少ない職場復帰望む患者さんだからこそ、少しずつ実績をつくっていきたい。

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子どもの教育ができるのか

訪問リハビリテーションの患者さんには少数だが子どももおり、その中には中学生の年代の子もいる。

 

小さい頃からの病気のためか、親がどうしても厳しい態度をとれず、甘やかしがちになることがあるようで、私が訪問している中にもそんな子がいる。

 

私自身はこれまで普通の病院で働いており、小児科の患者さんでは骨折や白血病、脳腫瘍の手術後のリハビリテーションは行った経験があった。しかし、脳性麻痺をはじめとするいわゆる発達障害の子のリハビリテーションを行ったことはなかった。そのため、「療育」なる言葉も学生時や教科書でした見聞きすることがなかった。そういうわけで具体的に「療育」というものがどういうものなのか、よくわからずにいる。

 

一緒に担当している看護師などは、その子供の態度が悪かったりすると、将来のことを考えてどういうふうに振る舞わないといけないかなども教育していると話している。しかし、私はどうしてもその子を教育するという行動は取れないでいる。

 

まず、私は教育について何も知らない素人である。したがって自分がその子に良かれと思って言うことが本当に正しいのかがわかならい。子供を育てている経験や自分の経験などごくごくわずかなものでしかなく、それが正しいかどうかやはり分からない。もしかすると思い込みかもしれないのだ。

 

また、自分の子どもであれば、彼らが大人になるまで育て上げるから責任をもつことになる。しかし、リハや看護で関わるのはわずかな時間であり、仮に大人になるまで関わることになるとしても、所詮は他人の子であり責任はほとんどないも等しい。こちらが思う勝手なことを言う度胸は私にはない。

 

リハビリテーションの専門家として関わることしか私はできないし、本当の教育などというものも専門家や親(あるいは、その子の将来に責任をしっかりもつ覚悟がある者)にしかできないのではないかと思っている。

コンビニATMの恩恵

訪問リハビリテーションに行っている患者さんの中には、一人暮らしで金銭管理もしっかりと自分自身で行っている方々がいる。その人たちにとって厄介なのは、銀行へ行くこと。たいていの銀行やATMは利便性から駅の近くや繁華街にある。ところが、住宅地は駅や繁華街に近いどころかそういったところからは離れた静かなところにあることが多い。

 

そうなると銀行に行くためには、車、自転車、バイクなど徒歩以外の手段が必要になることが多い。しかしリハビリテーションを受けている患者さんにとっては、そういった交通手段を取るのが難しい。

 

一方、コンビニやスーパーは近隣住民を主なターゲットにしているので、住宅地やその近くにあることが多い。そこで頼りになるのがコンビニである。杖や歩行器などをつかってなんとか屋外歩行が可能である人たちにとっては特にである。コンビニまで歩いて行くことができれば、銀行まで行くことなくATMを使ってお金の出し入れができる。

 

銀行やATMでのお金の取扱は、家族などでない限り本人以外は基本的には不可能である。だから当事者が必ず銀行やATMまで行かなければならない。そのハードルを下げてくれたのがコンビニATMである。私が担当してる患者さんの中にも数人、銀行ではなくコンビニATMでお金を引き出しに行く人たちがいる。

 

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「転倒」のもどかしさ

病院のときもそうだったが、訪問リハビリテーションの場に移っても、患者さんの転倒が転倒したという話は時折聞く。

 

ただこの転倒事故にはなかなかもどかしい要因が背後にあることが多い。

まず転倒の危険性がほぼないのが寝たきりの状態の患者さんである。起き上がりもトイレ移乗も一人ではまったくできないくらいのレベルなのだから当然である。一方、転倒の危険性が高いのが、ひとりで起き上がりができて、移乗や車椅子移動が自分でできたり、あるいは杖があれば歩け、活動的な人である。

少しの体調の変化でふらつきが生じ、転倒してしまう。特に夜起きてトイレに行く時など。

 

ところが、リハビリテーションでは、寝たきり状態の患者さんを自分で起き上がり、座り、立ち、車椅子に移乗したり、歩いたりできることを目指す。そしてそれは転倒の危険性を高めることになるかもしれないのである。

 

どうしてこんな病気になったのか?の答え

訪問リハビリテーションに行っている患者さんの中に、若い頃から食事や健康にも気をつけていたのに、高齢になってどうしてこんな病気になってしまったのかと繰り返し仰る方がいる。大体は傾聴して、同意することで済ませている。しかし、ある時また同じことを尋ねられたので考えながらこう答えた。

 

「確かに食事や健康に気を配って生活をしていたから高齢者と呼ばれる年まで生きてこられたのではないでしょうか?それはすばらしいことだと思いますよ。ただヒトは年齢を経るにしたがって病気になる可能性も高くなっていくのも事実で、高齢になったからこそ今の病院になったと言えなくもないのでは?」

 

何か辛いことがあった時、人間はどうしても「なぜ私が?なぜ?」と答えの無い問に囚われてしまう。それは仕方がないことなのかもしれない。しかし、なるべくそういう問からは離れて、これからどうする香を考えるほうが気持ちも楽になるし、行動も違ってくる。そのために答えのない問に対して現在の自分自身を幸せだと思い込ませ、納得できる一時の答えをもつことはとても大切だ。

 

話を聞いてもらいたいだけのこともあるようだ

ごくたまに訪問するやいなや、「〜について困っている。それは〜なのか?」と確認とも質問ともとれる内容の話をされることがある。

 

話をよく聞き、困っている内容についてできるだけ細かに説明すると、先程までの様子が嘘かのように「ああ、そうですか」という返事が返ってくることがある。

 

上記のような聞き方をされた場合、患者さんの側ではほとんど答えが出ていることがある。その確認であることもある。あるいは、今の現状をそいう形で説明して分かってもらおうとしている時もある。ただどういう時も問われたことを理解しようとし、またいつもの訴えかと流すようなことは避けなければならないと自分に言い聞かせている。

 

数値化すること

療法士として働き始めた頃、リハビリテーション科の医師からよく言われたのは、数値化できるものは、きちんと数値化する癖をつけろということである。

 

例えば、関節可動域、筋力、握力など。リハビリテーションではどうしても数値化できるものが限られてくる。日常生活動作の多少の変化などは数値化が難しい。また、数値変化の頻度も僅かであったりする。だから意識して計測するようにしないと、測らないままであったりする。

 

しかし、問題がある場合には関節可動域、筋力、握力はしっかり計測しておくべきだと実感することがある。その理由は、まず数値化することで患者さんにとっても、他のスタッフにとっても、そして自分自身にとっても客観的な指標を提示できる。さらに数値化することで、その変化を確実に把握することができる。長期に関わる人であればしっかりと維持できているか?、短期に関わる人であればリハの内容は正しく効果はきちんと出ているか?など確認できる。

 

訪問では血圧計などを除いては計測器が用意されていないことが多い。そして握力計は思った以上に高い。しかし、今ではネットショップに安価で信頼できるものも出てきてる。関節角度計(ゴニオメーター)も同様である。筋力は測る意識さえ療法士にあれば測ることができる。

 

面倒臭がらずに可能なものは数値化するよう意識して働いている。

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