訪問リハビリテーション日記

訪問リハビリテーションの仕事をしています。仕事をしていて考えたことを日々書いています。

悲嘆してばかりはいられない、明るい未来

医療保険介護保険に関わっているとどうしても将来の見通しでは暗いニュースばかりになってしまう。

 

少子高齢化、人口減少、社会保障費の増大、人手不足、etc.

 

しかしちょっと視野を広げると明るい未来、ワクワクする未来も待っていそうだ。なかでも自動運転技術は社会を大きく変えるだろう。

 

次世代交通サービス:ほぼ自動運転 記者が体験 - 毎日新聞

 

このように大きく社会に影響を与えそうな技術が出てくると、あとは人間の方がそれをどう運用していくかで未来も変わってくる。今では考えられない生き方だって十分可能なはずである。中にはそういった変化を嫌う人間も少なからずいるだろうし、変化の中で多少の弊害だって出てくるだろう。しかしそれ以上にプラスの影響の方が強いと個人的には信じている。昔で言えば洗濯機、冷蔵庫、エアコン、最近ではスマホ、ロボット掃除機、食洗機、こういったものによって暮らしは楽に便利になり向上していった。

 

高齢者に関わる機会が多いからこそ、年を取って体に問題が出た場合の現状での暮らしにくさに直面することも多くある。それを現在は保険サービスを使ってのマンパワーで何とか補っている形である。それが技術の進歩で人からマシンに入れ替わるとすれば職を失う人たちも多く出てくるだろうが、当事者にとっては得るものの方が大きい。

 

早く来い、未来!

療法士だって基礎教養はあった方が良い

療法士になってからの初めの数年はとにかくいろんな研修会やセミナーに参加した。臨床に出ていざ患者さん前にすると、あの技術を身につければ治せるんじゃあないかとか無駄に夢を見てしまっていた。それで人気の研修会ともなると、受講するのに抽選をパスしなければいけなかったり、法外な研修費を払ったりしていた。はっきり言ってそうやって受けてきた研修会の9割が無駄金だと思える。ただし有名な技法名前を聞いても「ああ、そうですか」と聞き流してビビらなくなったぐらいだ。

 

特殊な考え方やそれに基づいた技術など、解剖学、生理学、運動学をしっかりと理解していれば嘘臭いものは直ぐに分かる。ただし中には、解剖学、生理学、運動学の知識を巧妙に取り入れてくるリハビリテーション技法もあるので、これはすごいのかもしれないと騙されそうになる。ただしそれも、もっと基礎的な教養である、物理、化学、生物学、国語・数学(論理や統計)といった知識ある程度あれば信じるに足るものかどうか分かるようになる。

 

療法士の仕事は今や患者さんだけを診ていても給与的には頭打ちである。そうなると、療法士自身を客にしてひと稼ぎしようとする者もわさわさと出てきて、いろいろな研修会や勉強会など開いてくる。療法士向けの研修会の相場としては一日一万円〜一万五千円といったところで、人数が集まればそれなりの額になる。騙されないようにするためには、それなりの基礎教養が必要だ。しかしそれに気づく前の向学心と理想に燃える若手療法士は格好のカモとされる。そして私もその一人であった。

訪問看護での療法士はグレイな存在なのか

訪問看護ステーションでの療法士の存在については厚生労働省のウェブサイトにもはっきりとこう書かれれいる。

 

訪問看護ステーションからの理学療法士作業療法士又は言語聴覚士(以下、理学療法士等という。)による訪問看護は、その訪問が看護業務の一環としてのリハビリテーションを中心としたものである場合に、看護職員の代わりに訪問させるという位置づけのものである

 

訪問看護ステーションにおいて療法士は看護師の代わりという存在なのである。まあ「訪問看護」というその名前からして当然そうなるだろうことは納得できる。ただし納得できるものの、療法士の存在がかなりグレイなのも事実である。特に医療職のような専門性の強い領域では、代わりの存在だと言っても実質その内容を代行することはできないし、それぞれの領域の内容についてどれほど知っているかは怪しい。また療法士が「看護師の代わり」という存在であると制度上でこうして明確に定義されていることが更に現場に不協和音をもたらしさえする。管理者となる看護師としては、自分たち看護師の代わりに療法士が行っているとされても、療法士の行うことのほとんどを知らない状況であり、だからこそ彼ら彼女ら療法士に対して管理義務があると言われても気持ちとしては「そんな責任は持てないから嫌だ」というのが本音である。確かに病院でも医師の代わりにリハビリテーション業務を行う存在として療法士がある。しかし医師は患者に対して全責任を負っており、リハビリテーションの適用不適用や安静度も判断してリハビリテーション処方を出す。

 

訪問看護ステーションからの訪問リハビリテーション業務を行う限り、療法士はグレイゾーンの存在として行き続けてなければならないのが現状である。

名前と経験でお客さんを得られるか?

リハビリテーション療法士で仕事場を変えたいと思った時、入職希望先の履歴書等にこれまでの経歴や管理職経験等をほとんどの人たちが書くと思うが、大部分の採用担当者はそれらに価値を置くことはないだろう。かえってそういった大々的な経験は煙たがられることになる可能性さえもある。

 

まず療法士は名前で患者さん(お客さん)を呼べることはない。名医なら別かもしれないが、名療法士など誰も知らないし、知るすべがない。患者さんの多くはケアマネージャー経由で紹介されてくるし、それ以外はネットでの検索や保健師さん経由である。したがって、病院等で管理職をしたりベテランであったりしても患者さんを獲得することはまず無理(=稼げない)、全くの一からのスタートである。そういう状況であるから、給与もこれまでの経験等は加味されることはない。年齢を考慮した平社員相当となる。それを知らずに管理職手当分までを加味しろと言われても無理なのだ。

 

では何が利用者を獲得する要素となるかだが、営業職と同じく人柄、コツコツと積み上げた実績と信頼である。だからある地域で十数年働き続けている療法士は直接ケアマネージャーから依頼が来るし、明るく元気で人受けの良い療法士にも依頼が集まってくる。つまり国家資格をもって働いているとしても最後には営業力が決め手となる。

 

そんな世界だからこそ生き抜く力は人によっては鍛えられ、やればやるほど成果を挙げられる人材になれる可能性がある。少なくとも患者さんを相手にする臨床という現場、特に病院名前やそこにいる医師の名前など存在しない訪問リハビリテーションの現場で働くには療法士としての知識や技術は平凡でもいい、それよりも営業力の方が圧倒的に重要となる。

仕事上での喜び

訪問リハビリテーションの患者さんはほとんどがリハ病院を経てきた方たちである。そのため維持期と呼ばれる患者さんであり、大きな回復というのは難しい人たちが多い。したがって訪問リハビリテーションをやっていても、大きな手応えや成果を実感できるのは数パーセントである。

 

そのような状況だが、患者さんにとって訪問看護や訪問リハビリテーションは病院以外に頼れる医療的なサービスである。だから病院に行く程ではないが心身の不安を抱えている場合、患者さんによっては本当に頼りにしていてそれは空気のような存在だ。維持と言うと何も変化がない状況ではあるのだが、維持出来ない状況で初めてその存在価値を知ることもある。

 

それは患者さんが体調を崩し入院したの知った時や、休みに孫が帰って来て嬉しかったという話を聞いた時、職場や学校に行き続けている様子を見た時に強く実感する。

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退職金出ない会社に勤めた時のマインドセット

私が現在勤務している訪問看護事業所には退職金制度はない。これは採用前にも説明されていたので私自身は自前で退職金に相当するお金を60歳〜65歳時に用意できるよう貯金と投資を行っている。

 

日本人の平均寿命が80歳〜90歳になり、定年後の人生が15〜30年となり、一昔前のように定年後は悠々自適のセカンドライフなどとは言っていられなくなった。年間いくらのお金で生活するかにもよるが、場合によっては5000万円〜1億円以上が必要となる。それだけの金額は余程の企業等ではない限り退職金のみでは用意できない。

 

この事実への対応策としては唯一、働き続けること(=稼ぎ続けること)以外に凡人にはない。確かに退職金のある無しは大きいが、働き続ける事が出来る「身体的健康」と「精神的健康」を維持出来る事の方がこれからは重要になってくるのである。

 

人生は思い通り、計画通りには行かないが、上記のように割り切った考え方をすれば、自分自身では同仕様もない不安や心配は消える。それと同時にどんな働き方や生き方をすれば長く楽しんでいくことができるのかに目が行き、かなり明るく生きていく事が出来る。逆に退職金という大金が目の前にあると、割り切りが難しくどうしても我慢我慢の仕事や生き方に引っ張られてしまう。そう考えれば、退職金のない会社に勤めていることも決してマイナスではない。特に医療職のように専門的な資格を持っている人間にとっては可能な選択になるのではないかと思いながら今は働いている。

自主練習を禁じる療法士もいるがそれで本当に良いのか?

脳卒中の患者さんの訪問リハビリテーションを行っていると、病院からのリハビリテーションサマリーに時々こう書かれている事がある。

 

「○○さんは筋緊張が高まってしまう傾向があるので、自主練習を頑張り過ぎないように伝えてます」

 

こういう類の事を言う療法士は私が学生の時からいて、現在でも普通にいる。しかし筋緊張が高まる、すなわち余計な力が不必要な筋肉にも入ってしまうことは、筋力の弱まっている筋肉を動かす場合には当たり前の反応である。私たちも大きな負荷をかけて筋力トレーニングすれば自然に他の筋肉も過剰な力が入ってしまうことは経験出来る。

 

つまり筋緊張が高まってしまうから筋力改善目的の自主練習は行うなということは、人間の自然な反応を全く無視した言葉ということだ。

 

筋肉から余分な力が抜けるのは、その筋肉の拮抗筋(曲げる筋肉の拮抗筋は伸ばす筋肉)に力が入っている時、その筋肉自体に十分力が入った後、もう一つは反回抑制という複雑な仕組みの3つの場合である。したがって筋力改善訓練自体で力が入った筋肉は生理現象として徐々に緩む。こういったことを無視したアドバイスは無意味であり、自主練習という貴重な機会を奪うことになりかねない。