訪問リハビリテーション日記

訪問リハビリテーションの仕事をしています。仕事をしていて考えたことを日々書いています。

変わってきた「自立」の意味

訪問リハビリテーションではどうしても介護保険に関わらずを得ず、そこでは絶えず「自立を促す」ことが言われる。訪問リハビリテーションの大きな目的も患者さんの「自立」の達成と暗黙のうちにはなっている。

 

さてこの介護保険で使われる「自立」という言葉については恥ずかしながら深くは考えていなかった。食べる・トイレに行く・風呂に入る・着替えをする・歯磨き洗顔をする・自分で行きたいところに移動するなど患者さんが日常生活動作を出来るだけ自分自身の手で行えるようにすることであるとしていた。そして介護費の増大のもと、少しでも介護費を抑制するために「自立支援」を行うことが求められていると思っていた。

 

ところが、こちらのレポートを読む限りどうやらこの当たり前に済ませてきた「自立」という言葉が介護保険の中では変化してきたようである。

 

学識者として制度創設に関わった大森彌氏による書籍でも「自立支援」とは高齢者による自己選択権の現われとし、自己選択を通じて高齢者の尊厳が保たれるとしている。言い換えると、要介護状態になっても自己選択することを「自立」と指摘しており、介護保険法が想定している「自立」とは本来、「治る」
介護や介護保険の「卒業」を意味していなかった。

「治る」介護、介護保険の「卒業」は可能か-改正法に盛り込まれた「自立支援介護」を考える | ニッセイ基礎研究所 より

 

レポート本文がとても分かりやすく書かれており詳しくはそちらを読まれる事をお勧めするが、要するに「どういう介護サービスを受けるか自分自身で決定できるように」支援することがもともとの「自立支援」であった。それが社会情勢(ヒト、カネの不足)により徐々に「介護度を軽くすること」や「介護サービスなしで生活できる」ように支援することが「自立支援」となっていったということである。

 

やむを得ない理由を背景としているは納得できるものの、この変化の歴史から覚えておかなければならないのは、社会情勢によって言葉の意味が都合のいいように変わっていく(変えられていく)可能性があるということである。そしてそれは多くの人に気づかれずに起きているということ。今「当たり前の事」だと思っていることはもしかしたらそういうふうに思わされているだけなのかもしれないのだ。

 

数値の意味

訪問リハビリテーションでは毎回血圧やSPO2などの測定を行う。そして、

 

「今日の血圧は128/70、酸素の値は96%です」。
「いつもは血圧110台だけどな?高血圧ですか?」

「この前は酸素の値99%だったんだけど大丈夫かな?」
「正常な値っていくらですか?」
こういう問答が時折ある。

 

一般的には、病院での測定値140/90mmHg 以上、家庭での側定値 135/85mmHg 以上は
高血圧となっている。

[84] 血圧の話 | 高血圧 | 循環器病あれこれ | 国立循環器病研究センター 循環器病情報サービス

 

またSPO2の正常値は96 %以上となっている。

===== 心音図・経胸壁心エコー図検査 =====

 

これらのことを患者さんに説明し、わずかな数値の違いを気にするよりも、この値を上回ったり下回ったりしたかを注意してもらうようにしている。正直に言って収縮期血圧128mmhgと110mmhgとの違いや、SPO2が96%と99%とでどういいう違いがあるのかを説明する事は私にはできない。だから数値と一緒に患者さんの呼吸状態や意識状態などにも注意してトータルでその日の状態をチェックしていることを伝えさせてもらっている。

 

毎回の血圧やSPO2などの測定は必要であるが数値を過剰に意識させてしまうことがあるので、上記のように気になって質問してくる患者さんには”数値の幅”の説明をするように注意している。この”数値の幅”の重要性を教えてくれたのが「酸素解離曲線」だ。

 

第5回 SaO2(SpO2)とPaO2の関係と正常値を知ろう | 看護に役立つ【ナースプレスbyナース専科】

 

この「酸素解離曲線」ではSPO2が90%を下回ったところから一気に下降線となっており、
90%を切る値ではかなり問題であることが分かる。

 

このように数値を細かく気にするよりも、その数値がある範囲内に収まっているかが大切だと伝えている。

 

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アウトカムの難しさ

アウトカムとは、臨床上の成果や結果である。それを確立された評価方法によって数値化することが求められている。これは社会保険制度で成り立っているリハビリテーションでも確かに重要であり、これから苦しくなってくる時勢では当然求められてくる。費用対効果のより高いサービスをしなさいということである。

 

一方で訪問リハビリテーションでは急性期から回復期と一般的に呼ばれる発症から1年を経過した患者さんを対象とすることがほとんどだ。そのためなかな目に見える効果というものも直ぐには出なかったり、短期間で効果が出てもその後右肩上がりに良くなっていくということも難しい。だから「維持する」ということも患者さんと決める目標のひとつとなってしまう。

 

維持というと何も変わっていないかのようである。しかしほとんどの患者さんが高齢者であり、病気、それに伴う障がいだけではなく、「加齢」という行き続けるかぎり起きる下降的な変化がある。したがって現在の生活を維持できているということは、放っておくと下降するラインを引き上げているということでもある。ところがアウトカムとして数値化した場合にはそれは変化なしとなる。それはひとつの結果である事は間違いなく、しかしその数値だけで判断していいのか療法士としてずっとモヤモヤした気持ちを持ちながら働いている。

 

 

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私の国家試験勉強法

私が療法士の国家試験を受けたのは10年以上前だが今でも国家試験の勉強法は基本的に変わらないだろう。何かの足しにはなるかもしれないので勉強法を書いてみる。

 

もうあと1ヶ月かそこらで本番だから今更教科書を眺めていても点数にはつながりにくい。7〜9割の合格率である療法士の国家試験だがその範囲は薄く広い。したがって勉強の中心はこの時期では教科書ではなく、「過去問」である。私は過去問題集を購入後、バラバラにして大きな単元毎にホッチキスで留め、ひたすら問題を解きそれを何周も繰り返した。間違えた問題にはチェックし、何度も間違える所は教科書を確認するという方法である。

 

解くうちに初めにやった問題も忘れ始めるのだが、この忘れるということを恐れてはいけない。繰り返すうちに不思議と覚えられるようになる。そしてある程度記憶出来てきたら、今度は各年毎に過去問を実際に解いてみることで単元毎とは違った方法で問題に出会う事である。そして頭が飽和状態になってきたら、友人と実技練習をしたり筋力や関節可動域等の評価法を体を使って練習することで気分転換を図る事である。そしてこの時期は体調も崩す易いのでしっかり睡眠だけはとる。この睡眠が更に記憶を定着させてくれる。

 

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高齢化社会は加害者になるリスクも上昇

訪問リハビリテーションでの移動は専ら自転車である。そして自転車といえども人に当たれば大事故になる。だから基本的にはとばさないよう、時間間隔に余裕をもって移動している。歩行者を自転車ではねて死亡事故という見出しのニュースも時々見る。

 

そういうわけでかなりの時間を自転車で移動していて最近気になるのは高齢歩行者や高齢自転車運転手の信号無視である。赤でもすぐ近くに自動車が通っていなければ彼らは渡る。それがかなりの人数になるのでどうしても怖ささえ感じるのである。もしかすると彼らの多くが信号無視をしているのではなく、赤信号だということさえも気がついていないかもしれないのだ。とすると、青信号だからといって注意もせずに進むのは危険があることになる。

 

被害者になってしまわないように高齢者ドライバーの運転に気をつけるだけではなく、加害者にならないように高齢歩行者や自転車にも気をつけなければならない社会が既に始まっている。

国家試験勉強中の学生に伝えたいこと

mainichi.jp

 

インフルエンザの流行が本格的になってきた。医療従事者であるならばほとんどの人間が予防接種を摂取済みだろうが、それでもインフルエンザに罹患することはある。そして最近、気になるのは医療従事者からインフルエンザ予防接種が無駄であるという言葉である。療法士である私の周りにいる医療従事者のほとんどが医師以外、つまりコメディカルと言われる職種の人間である。彼らのほとんどが感染の知識については多くが経験則で身についたものである。専門的な学術知識やデータを知っているわけではない。それは私も同様である。この経験から得られた知識や考察は時に非常に役立つが、一方で大きく間違ってしまうこともある。だからこそ、常に最新かつ専門的な医学的な知識をキャッチアップしていく必要があるのだが、よほど熱心で意識の高いコメディカルを除いてはそれは難しい。

 

経験から正しいと思っていた知識が時に思い込みにすぎず実は誤っていたということは少なくない。それへの反省から「エビデンス」というものが求められるようになった。仕事から得られた経験は日々の臨床でとても大きな力となるが、時におおきな失敗をもたらすことがある。それはたまたまの結果に裏付けされたものにすぎない可能性がある。だから、その経験則は本当に正しいのかを定期的に省みる必要がある。それはなにも医療の世界だけではない。子育てや日々の生活についても同様である。だから私たちは少なくとも患者さんに話す内容は経験則ではなく、もっとも一般的なものを語るべき。それがトンデモなものであるかどうかの判断は今でも学生時代に学んだ「解剖学」、「生理学」などの基礎学問が役立っている。今学生で、国家試験勉強の真最中の人たちにはそれを伝えたい。基礎学問は将来あなた、そして患者さんを救う。

リスクは意識するからリスクになる

訪問リハビリテーションでも訪問看護でも患者さんにいろいろなリスクを説明する。しかしリスクを説明したからといってて事故を全て防ぎ切れる訳ではない。だから説明する側もされる側も「リスク」というものは、いつ爆発するか分からない「爆弾」のようなものである。その爆弾をいかに爆発させないように生きていくかに注意しなければならない。

つまりリスクの説明とは、爆弾がどこにあるのかを伝えるということである。

 

本来なら「爆弾」を取り除ければ良いのだがそれが困難である時もある。だからせめて「爆弾」が存在していることだけでも伝える。転倒や疾患の増悪などが起きるという事は「爆弾」が爆発してしまったという事である。爆発してしまった後にはすでに「爆弾」の形は残ってはいない。このようにリスクの説明が「爆弾」の存在を説明するというように考えるとそれにはある程度の意味があると分かる。