子育て、教育について、知能は遺伝する

ここのところ子どもの進学に伴って、どういった教育が良いのだろうかと親として考えることが続いた。そして現在何となく自分で納得できる方向性できたような気がするので少しずつ文章にまとめていく。

 


まず私の考えに影響を与えたのはこの本である。

言ってはいけない 残酷すぎる真実 (新潮新書)

言ってはいけない 残酷すぎる真実 (新潮新書)

 

 そこでは知能がどれほど遺伝するものであるかが書かれているのだが一般知能の遺伝率は7割を超える。つまりその人間の知能の7割を遺伝から説明できるということだ。

 

身長や顔などの身体的な遺伝に関しては遺伝の高さがある程度世間でも認知されている。
しかし知能に関してはタブー視されてきた。それでも多くの人がなんとなく直感的には理解しているように知能に対しても遺伝というものがかなり大きく影響しており、それは紛れもない事実なのだ。

 

私はこれを読んでいて自分自身のこんな経験を思い出した。

高校時代の同級生の一人が「なぜ、皆が必死に試験勉強しているのかが分からない」とポロリと口にした。つまり彼は授業を1回受ければその内容はその場で理解でき、その後の試験問題等は解けて当たり前なのになぜ周囲が「勉強、勉強」と言っているのかが理解できなかったのだ

周りからはブーイングが出ていたが、彼はそのまま現役で東大理科Ⅰ類に合格した。

もちろん受験勉強は特に必要なかったと言っていた。

 


そういう例を実際に見ると明らかに知能が高い人間が世の中には存在し、彼らは一般人とは到底比較にならないことを実感する。
そういった例はこの本を読んでもよく知ることができる。

神童は大人になってどうなったのか

神童は大人になってどうなったのか

 

 



さて知能が遺伝の影響を大きく受けること、知能の高い人間は一般人のレベルを少なくとも学校の勉強や受験では軽く超えていること、こういった事を何もマイナスに受け止める必要はない。ありがたいことに知能の高さや、学歴の高さが人間の幸福度を決めるわけでもなく、また仕事の出来不出来を決めるわけでもなく、稼げる人間になるかどうかを決めるわけでもない。

ましてや今の子どもたちが生きる時代はこれまでのように大企業や公務員になれば一生安泰という時代ではないことは日本のバブル崩壊後の世間を見てみると明らかだ。

 

しかし旧世代の私達はどうしても自分たちの生きてきた時代の成功例にとらわれていて、

「高学歴=成功(or幸せ)への道」というモデルを自分の子どもに当てはめてしまう。

また中学受験を経て東大がゴールという道が、目指せば誰でも可能な道ならまだしも、知能の高い人間の前に圧倒的多くの人間が期待していたものとは違うゴールへと到達することになる現実が立ちはだかる。

 

ここで一人の親としてはこの国で高学歴を目指すことが果たして一般的な知能の親から生まれた一般的なわが子にとって幸せなのか、あるいはこれからの将来にとって果たして有益な経験となるのかをもう一度考える必要がある。そうした時、知能の遺伝性の高さというこの事実は、子育てが誤った方向へ進むことを防ぐことができる大きな武器となる。

 


ただし将来的にはAIの台頭があり、現在では既に世界中の人間が競争相手となりつつある。「頭脳」というものは子どもたちにとっては必要なものである。そして必要とされる「頭脳」というというものがどんなものなのかを知ることで間違った方向への力の注ぎ方というものを防ぐことができ、努力した子どもにとっても将来の糧となるので、そこは注意が必要である。

そのヒントとなるのが、これらの本である。

 

AI vs. 教科書が読めない子どもたち

AI vs. 教科書が読めない子どもたち

 

 

 

読書の価値 (NHK出版新書)

読書の価値 (NHK出版新書)

 

 

これらの本を読んで個人的にはコミュニケーション力(読む、聴く、話す、書くといういわゆる「四技能」)、何かを創り出せる力(絵、文章、音楽、プログラム、形あるモノ等)は特に重要だと考えられる。