働くことについての考え方の変え時じゃないだろうか?

公的年金 少しでも増やす: 日本経済新聞

とても興味深い記事だった。
社会保険料と言うと職業柄か医療保険介護保険をまず頭に浮かべてしまうが、長寿化している現在で私たちの生活に大きく関わるものが厚生年金である。働けなくなり収入が全くなくなった状況で通常唯一頼りになる社会制度とも言える。

 

国民年金や厚生年金は払い損だという声も聞くが、国が保険者という意味ではこの国が存続する限りはなくなることはない。ただしその制度上、働いている人たちで支えられており、支える人数と支えられる人数によって金額や受給年数などは今後も変化していくということは認識しておくべきだろう。しかし保険の意味は本来、個人では対応できない万が一の事態に備えるというものであり、その意味では平均寿命が80代90代となっている現実を考えるとやはり払い損という考え方は止めておいた方が良いと思う。

 

さて60歳で仕事を止め、悠々自適の老後生活というのはもはや普通の雇われ人間にはあり得ないことは事実である。心身ともに健康である限り、ペースは落ちたとしても働き続けることが当たり前のこととなっている。そのためこれからはたとえ細くても(給与が少なくても)どうやって長く働き続けられるかが鍵である。そういう考え方を多くの人たちが徐々にするようになっていることを先の記事からは読み取れる。つまり働けている間は少々の負担となったとしても厚生年金等を納め続けるという選択である。

 

老後のためのお金を気にするというのは、正直今からそんな先の将来、しかも働けなくなりどんどん死に向かっている自分の状況を考えるということでもあり、あまり楽しいものではない。それよりも体も元気でいろいろやってみたいと思える若さがある今を楽しみたいというのは間違いない。ただ、厚生年金を払っていれば少しでも働けなくなった状況での安心材料になり、老後へのつまらない心配はする必要がなくなる(完全になくなる訳ではないが)。後はもう、現在を楽しむために、少しでも長く働き続けるように、今の働き方や生活の仕方に全力投球できるとも考えられる。

 

「我慢して我慢して働き続ければ、悠々自適の老後生活がまっている」という考え方は遠い昔の話になった。すでに働き方や生き方について我慢より、長く続けられる程度に楽しみながらという方がよりこれからの世の中にあっているのではないだろうか。