人は怒鳴られて成長するか?

ある日聞こえてきた怒声

先日子どもを学童保育に迎えに行った時の話です。学校の体育館から怒声が聞こえるふと見ると、バスケットボールクラブが練習中でした。怒鳴り声はその監督者が子ども達に指導しているときのもの。子どもたちは一生懸命にその怒声に耳を傾け頷いていました。このバスケットボールクラブは学校がやっているものではなく、私営の小さなクラブチームです。私の子どもが入学して間もない頃、そのクラブの勧誘チラシをもらってきていました。文面からは楽しく皆んなでバスケットボールをしよう!という雰囲気が伝わり、私の子どももバスケットボールに興味を持っていたので、いいなと少し興味を持っていました。

 

自分より力の弱い者を恐怖で支配しようとする指導者

しかし偶然にも実際の練習風景を目にし、子どもをそのバスケットボールチームに参加させることは絶対にないと思いました。まだ小学生の子ども達に楽しさよりも、恐怖で何かを指導しようとすることに全く意味を見い出せなかったからです。小学生は幼く、大人から言われたことを疑問も持たずに信じます。恐怖は考えること楽しむことを奪い、怒られないようにただただ言われたことをこなすことように人を染めていきます。ましてや子どもなら尚更です。

 

これからの時代には必要な指導者とは

言われたことをこなしていけばそれなりの幸せをつかめた社会はもう過去のものです。自分で考え、好きこそものの上手なれの如く楽しんで努力し続けることが出来なければもうどうしようもない世の中になってしまったのです。そんな時代になっているにも関わらず、いつまでこんな指導が続けられるのでしょうか。先日の記述にも書きましたが、「やる気」というのは他人が与えることができるものではありません。

 

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しかし「やる気」を持つきっかけ作りは他人が提供できる可能性があります。そしてそれは楽しみを感じたり、向上するために自分でいろいろ考えたりする機会づくりが欠かせないのです。