子育て、教育について、塾の価値
子どもの教育について考える時、中学受験をするにしてもしないにしても早々から塾というものについて検討する必要が出てくる。最近の塾は、中学受験をメインにしている大手進学塾と、学校の補習授業的役割の地域の塾がある。しかしいずれにしてもその役割は、子どもに分かりやすく教えるということである。授業を面白く、分かりやすく説明できる先生が人気となり、その塾の口コミ評価となる。そして塾の評価は、どこの中学校に何人合格したのか、学校の成績が何点上がったのかで決まる。
さて、ここで注意しなければならないことが二点ある。
一つは、評価の高い塾に行ったからといってどの子も志望校に合格したり成績を大きく上げられるわけでは当然ないこと。
もう一つは分かりやすい授業を聞いたとしても実際のテストや試験問題を自分で解けるわけではないこと。
以上の事実があるにもかかわらず、多くの親子が塾というものに漠然とした期待をもって通う。そして塾はそれに答えるために、一部の成績優秀組の獲得を狙い彼らに受験テクニックを叩き込んで数値としての実績を上げ、その他の普通以下組に分かりやすく楽しい授業を提供する(それが成績向上や受験結果につながるかどうかの保証はない)。
何が言いたいのかというと、塾に行くことが本当にわが子にとってメリットとなるのかどうかを見定めないと、お金と時間という非常に貴重なものを無駄に吸い取られていくだけにしかならないということだ。
成績でも受験でも結果を出せる人と出せない人においてはある種の法則がある。
それをハッキリと言ってくれているのがこちらの本。
今は絶版状態のようだが、図書館などではおいているところもある。
おそらく中学受験を考え、算数のよい参考書や問題集がないかと探していくといつかはこの本の著者の一人である栗田哲也氏の著書に出会うだろう。算数・数学教育については一読の価値がある著書を多く書かれている方で、もともと塾・予備校教師をされていた方である。
成績や受験で結果を出す子というのは、
ほっておいても一人で勉強と読書に夢中になる子 > 教師に習う意欲のある真面目な子 > 教師に習おうとする真面目さはあるがいやいや学習する子 > 勉強をすること自体が嫌いでしない子
という順序がある。どんなに早くから塾通いをして先取り学習をしていても、いったん勉強自体の面白さに目覚めた子には最終的には敵わないのだ。そしておそらく塾に通う多くの子どもたちが、「教師に習う意欲のある真面目な子」と「教師に習おうとする真面目さはあるがいやいや学習する子」である。特に後者の子にとって塾に通うメリットが将来を考えてあるのかよく考えた方がいいのは言うまでもない。また前者の子の場合も、その先に夢中になれるきっかけが作れればよいが見つからない状態では人生を幸せにするための塾通いとは言えない。
栗田氏はそういった塾の存在と子どもの関係性を「薬」になぞらえている。塾通いをする「教師に習う意欲のある真面目な子」や「教師に習おうとする真面目さはあるがいやいや学習する子」にとって、無理やり勉強をさせる働きを担う塾の存在は、夢中になるものがありほっておいても勉強する(必ずしも学校の科目ではないかもしれないが)事とは違う。子どもを塾に通わせることがひょっとすると誰かから何かを与えられ、与えられたことに関しては上手に処理していく「薬中毒」の状態にしている可能性があるのだということを忘れてはならない。