皆、役割を演じている

ヒトは好むと好まずとも、意識するともしないとも皆、何らかの役を演じている。訪問リハビリテーションで訪問すると、療法士と患者さんという役割を演じることになる。一方でその患者さんは家族の中では、妻や夫、父や母になるし、友人たちとの中ではまた違う役割を演じる。そして私もまた、一人一人の患者さんによってその人に合わせたキャラクターをもった療法士を演じ、担当ケアマネージャーや主治医にはまた医療チームの中の一人としての役割を演じる。

 

そういうふうに演じている役割を他人にも自分にも意識できる時は、それを加味しながらコミュニケーションを取ることができる。しかし時として無意識に演じるばかりに、それを忘れてしまい、自分と接している時と違う患者さんの態度や、他の患者さんのように接することができない自分に戸惑うことがある。

 

見栄やプライドも、怒りも悲しみも自分が演じる役を貫き通そうとするとその差を埋めようと出てくる。それはごく自然なことなのだ。

 

人が相手のこういう仕事では、人との関わりの中で落ち込むことも多い。そういう時は、「人は皆、何かの役を演じており、それを使い分けていくことが大切。自分も何か役を演じているだけ」と切り替えないと、いつまで引きずってしまうことになる。